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ただ呆然

永井 雅代  郡山市菜根

 私が生まれ育ち嫁いで、桜が自慢の町で、五十八年です。子供三人に囲まれ必死で生活し、子供たちも良き伴侶に恵まれ、バァバと言われる嬉しいアクセントに慣れて、苦しい時も笑い合って過ごせる家族が心の杖でした。 それが原発事故により、家族てんでばらばら、淋しい日がやってくるなんて夢にも思わなかった。ただ呆然と涙だけしか出てこなかった。

「絶対安全」という言葉を私は信じていました。安全でなければこんな恐ろしいものを建てるはずがないと…。しかし、裏を返せば、万が一事故が起きても被害が少なく補償も少なくて済む所だと東電は思ったのかと考えている。

今若い人たちは、頑張ってくれています。その頑張りを政府が支え、又素晴らしい富岡町に戻れる日を夢ではなく現実にしてくれることを心の糧に生きて行きたい。あの桜のトンネル、可愛い子供たちの笑い声、キラキラ輝く瞳、大事なものは絶対失くしてはいけないのです。


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